毎度!
京都の幸せ配達人、勝浦 豊です。
今日も宜しく願いします。
今日は1/17です。もう日付が変わりそうですが・・・。
25年前、1995年1月17日、午前5:46に兵庫県淡路島北部沖の明石海峡を震源とした地震が起きました。最大M7.3の超大型地震です。
僕は、ちょうどその頃17才の高校2年生でした。
当たり前のように明日が来ると思っていたし、学校に行けば友達に会えると思っていました。
地震があった朝、僕は母親にたたき起こされました。
「地震があったんよ。もの凄い揺れてた・・・。
こんな中で起きひんて、あんたはよっぽどの大物か
ただのアホのどっちかや!!」
そんな憎まれ愚痴をたたきながらも、母親は泣いていました。
「大袈裟やなー!しかも、おかん何で泣いてんねん!!」
と、朝早くから起こされて不機嫌に怒鳴る僕。
後から聞いたんですが、当時僕の部屋には収納庫があり、そちら
に頭を向けて寝てました。地震のあった日、揺れが凄かったんで
収納庫に入れてたモノが落ちてきたようです。
かなり重いモノも落ちてきてたようで、母親が僕の部屋に入った
ときに肝を冷やしたそうです。
「あんなに重いもんが頭の上に落ちてたら、
あんたは死んでた。
凄い音したから焦って見に行ったら寝てるしな。
落ちてきたモノ片付けながら、無事で安心したら、
幸せそうに寝てる顔に腹立ってきてな」
と笑う母。
いや、全く気付かんかったけど・・・。でも、本当に無事でよかっ
た。僕だけじゃなくて家族がって思いました。
でも、おかんの話だけでは信じられなかった僕。
ホンマにそんなに揺れたんかいな?
と思ってテレビを付けると・・・絶句しました。
街が壊れてるって。
映画で観たゴジラや怪獣に破壊された街のような映像が、どのチ
ャンネルでも流れていたのを覚えています。
連日の地震被害報道をみていると毎日のように増えていく死亡者の数、地震被害の様子が流れてましたよね。
燃える街の映像、瓦礫となった家屋、崩れ落ちた高速道路・・・。
これって現実なん?
と思ったほどの酷い有様でした。
震災による、重軽傷者4万3792人、死亡者6434人。観測史上初の震度7を記録し、住宅被害も全壊・半壊が計約25万棟のも上ったそうです。
今日、もう昨日ですがも地震が起こった5:46に追悼行事が開催され多くの方が参加し、お亡くなりになった方々に黙祷を捧げられたとか。
あの大震災から、もう25年が経ちます。
あれから神戸も復興しました。今、25才以降の人は
まだ、イチローがいたオリックスが「頑張ろうKOBE」を合い言葉に優勝したとか、神戸の市街地が瓦礫になってたとか全然想像も出来ひんやろなーって思います。
人間って凄いですね。あんなに酷い状況だったのに元に戻しちゃう。
でも、25年前で時が止まってしまった方々もいるんです。
亡くなった方もそうだし、ご遺族でも時が止まってしまってる方
もいるんではないでしょうか?
僕は、阪神・淡路大震災の映像やニュースを観て、
目次
明日が来るのは当たり前ではない
ということを知りました。明日も友達に会えるのが当たり前では
ないんです。
だから、1日1日が大切だし、大切な人にはきちんと想いを伝えて
おくべきだと思っています。
いつも、ありがとう。
ごめんね
感謝や謝罪の言葉は言える時に言っておいた方がいい。
そしてなによりも、自分がやりたいこと楽しいこと、大切な人と
過す時間を大事にしたいなと思わせて貰いました。
時が経っても忘れてはいけないことがある。
地震の犠牲になられた方のご冥福をお祈り致します。
今回も最後までお読み頂きありがとうございます。