毎度!
毎年これくらいの時期になると古い靴下を捨て、ユニクロで10足ほど買ってきた黒の靴下と入れ替えるかっつんです。
どうして、年末や年始の分かりやすい時期にやらへんのや!?って自分に突っ込みを入れたくなります。
「やろう!!」って思ったタイミングでないとなかなか出来ないんですよね。
同じように見たり聞いたりしているのに、全然違う感じ方や受け取り方をするな…って思うような人ってあなたの周りにもいませんか?
そりゃ、人はそれぞれ違うんだから感じ方が違って当たり前って思うかもしれません。
じゃあ、その違いってどこから起こるんでしょうか?
育ってきた環境?親のしつけ?今までしてきた経験?
確かにどれもが当てはまるとは思います。
では、違いが生まれる一番の原因はどれでしょうか?
営業の世界でよく使われるお話をします。
この話の登場人物の違いってなんだとアナタは思いますか?
靴を販売している商社AとBから営業マンがアフリカに市場調査のために派遣されました。
それぞれ営業マンが市場を調査し、1週間が経った頃それぞれ会社に報告を入れます。
まず、A社の営業マンはこのように報告します。
「全くダメです。ここでは誰も靴なんか履いちゃいません。販売したところで誰も買いませんよ」と。
その報告を聞いた部長は「そうか。大きな市場だから魅力があると思ったんだけどな…」呟きながら、がっかりして販売計画の見直しをすることにしました。
時を同じにして、B社の営業マンも会社へ報告を入れていました。
「素晴らしい市場です!!誰も靴を履いていません!はだしの文化なんです。僕はこれから、靴の素晴らしさと安全性を伝えて回ろうと思います!」
このように興奮気味に伝えたそうです。
いかがですか?
同じアフリカを調査した2人の営業ですが、会社への報告は正反対です。
1人は市場として全くダメだと感じました。一方で、もう1人は無限の可能性がある素晴らしい市場だと感じたわけです。
この違いは一体なんなんでしょうか?
前提として、2人とも同じ場所に行き、同じものを見聞きしています。
僕が思うにこの違いは、想像力…ではないでしょうか。
アフリカに行き、はだしの文化を目の当たりにしたときにその先を想像できたかどうか…。
たぶん、ダメだと感じた人は何も想像できなかった。誰も靴を履いていないから需要はないと目の前の事だけで判断したんですね。
無限の可能性を感じたB社の営業マンは、はだしだと、足の裏をケガしてしまったり汚れて不衛生になったりするんじゃないかな?
靴を履くことで足の裏をケガする心配なく安全に歩くことが出来ると分かれば、みんな靴を履いてくれるんじゃないか。
このように想像したんじゃないかと思うわけです。
決して考え方がポジティブだからとかネガティブだからではなく、先の事を想像できたかどうかで感じ方に違いが出たのではないでしょうか。
靴の安全性が分かればみんな靴を履きたくなるんじゃないかと想像したら、皆がはだしの地域なんて可能性しかない宝の山ですからね。
物事を感じるのも想像するのも自分次第です。
自分を磨くって簡単じゃないですけど、楽しみながらやっていきたいですね。
今回も最後までお付き合いくださりありがとうございます。
今日も応援しています。