毎度!
娘がPCR検査の対象になってしまったので、さらに自粛生活を送ることになったかっつんです。
いやー、驚きましたよ。学校からGWなのに連絡が入るなんて何事?って思いましたよ。学生なのかその家族か教職員かは分かりませんが、コロナで陽性反応が出たって電話でした。
濃厚接触者ではないけれども、保健所の規程でPCR検査が必要だと判断されたので、検査を受けて下さいですと。
身近なところでPCR検査とか言われると、ちょっと焦りますよね。学校で感染者が出たとか言われたら防ぎようもないですし…。
今できることは、検査の結果が陰性であることを祈ることや外出を控えるくらいです。ちょっと緊張しちゃいますね。でも、仕方ないんで大人しくしておきます。
今日は、ステイホーム中に観たYouTubeのある動画について書いていきます。コロナになってから観る機会が増えた方も多いんじゃないでしょうか?
目次
保険営業の楽しい学校
今回、紹介するのはこの「保険営業の楽しい学校」というコンテンツの動画です。
「大丈夫 お前ならやれる」このタイトルで探してもらうと見つかると思います。運営している古川さんが保険営業向けに作っているコンテンツなので保険屋さんは必見ですよ!!
保険屋以外の人にも役に立つんじゃないかなー。
この「大丈夫 お前ならやれる」という動画がめちゃくちゃ良かったんで知って欲しい、伝えたいと思いました。古川さんは動画の中でこんな話をしています。
あなたが誰かのところに相談に行き「こういう事をやってみたいと思ってるんやけどどう思う?」って切り出しました。
すると、相談相手が「それって厳しいんじゃない?無理っぽくない?甘いんじゃない?」って言ってきたらどう感じます?ワクワクしますか?
こういう言葉を行動戒め言葉と呼ぶそうです。
別の人に相談すると、こんな言葉が返ってきました。「さすがやな!大丈夫、お前やったら出来る!応援するよ!」このように言われたらどうでしょう?ワクワクしますか?
こちらの言葉は肯定的な無責任言葉と言うんですって。
あなたはどちらの人に相談したいですか?僕は絶対に後者の人に相談したいと思います。
だって、僕たちが相談するときって半分決めてから相談しませんか?
相談した内容に対して、肯定して欲しい、応援して欲しい、信じて欲しいんですよね。自信という言葉は、自分を信じると書きます。
でも、自分を信じることってなかなか出来ないんですよね。じゃあ、どうしたらいいのか?
それは、たった一人でもいい。あなたの事を信じてくれる人がいてくれることがとても大切。信じてくれる人がいるから、自分を信じることが出来るんですって。これ、なんとなく分かるなー。
小林多喜二
古川さんは動画の中で、この学びを小林多喜二から得たと語っています。
あなたは小林多喜二をご存じですか?「蟹工船」という小説を書いた作家です。多喜二はプロレタリア文学と呼ばれる作品を書いていました。
プロレタリアとは労働者、無産者という意味です。労働者の過酷な労働環境を描いたり、軍の拷問を描いたり、労働階級によりそった共産主義的な文学です。
多喜二はプロレタリア色が強かったので、当時、思想・社会運動を取り締まっていた特高警察に逮捕されてしまいます。表現の自由なんてあったもんじゃありません。
逮捕で取り調べを受けるんですが、取り調べとは名ばかり。実際は、竹刀やムチで打たれたり、壁や床に投げつけられたりする毎日でした。
目は腫れ、口は裂け、髪の毛もズッポリ抜けるなどのひどい拷問でした。やがて、東京・多摩の刑務所に入れられた多喜二。
ここでも、同じように拷問を受けていました。しかし、心ある警察官が多喜二のお母さんに手紙を出し、なんと5分間だけ面会が出来るように取り計らってくれます。
お母さんは字が読めなかったため、刑務所からの手紙を読んでくれた人に訴えました。
「5分もいらない!1秒でも2秒でもいい!生きてるうちに多喜二に会いたい!!」
極貧だったので、近所の人になんとか往復の汽車賃を借りて、雪が舞い落ちる北海道の小樽から汽車を乗り継いで刑務所のある東京まで向かうわけです。
当時は蒸気機関車ですよ。雪によって汽車が止ってしまう事なんてしょっちゅうでした。お母さんが乗る汽車も雪で足止めされてしまいます。
車掌さんに「前に汽車は止まっていますか?」と聞き、止まっていると分かれば、前の汽車まで線路の上を歩いていく。そんなことを繰り返しながら、指定時間の30分前に刑務所にたどり着きます。
雪で濡れたお母さんの姿は、あまりにも寒そうだったので看守は火鉢を持ってきてお母さんに勧めます。「お寒いでしょう?待っている間、火にあたって暖を取って下さい」と。
すると、お母さんは聞き返します。「多喜二は火鉢にあたっていますか?」
看守は答えます。「規則なので、火鉢を与えることは出来ません」
それを聞いたお母さんは、火鉢をよたよたと抱えて面会所の隅に持っていき答えました。「多喜二が火にあたっていないのなら、私もあたることは出来ません」
すると、気の毒に思った別の看守がうどんを温めて差し出しました。お母さんは、汽車代も借りなければならないほど貧しかったので、道中に何も食べていません。
それでも「多喜二が食べていないなら、私もいりません」と、うどんも火鉢のそばに置くと一口も食べることはありませんでした。
待つこと30分。時間ピッタリに看守に連れられ面会室に現れた多喜二。拷問により、どこが目か鼻か口かも分からないほど顔が腫れあがっていたそうです。一人では歩くこともつらい様子でした。
そんな多喜二が、お母さんを一目見るなりコンクリートの壁に額をこすり付け「お母さん、ごめんななさい!!」と言ったきり顔が上げれません。両目からは滝のように涙がこぼれています。
面会時間はわずか5分。時間は刻一刻と過ぎていきます。
多喜二の変わり果てた姿を見て放心してしまっていたお母さんに、見かねた看守が声をかけます。
「お母さん、しっかりして下さい。あと2分しかありません。何か言ってやってください」
この言葉にハッと我に返ったお母さんは、多喜二に向かって残った2分間この言葉だけを繰り返したそうです。
「多喜二よ!お前の書いたモンは一つも間違っておらんぞ!お母ちゃんは、お前を信じとるぞ
!!」
面会時間は終わり多喜二は連れ戻されていきます。この言葉だけを多喜二に伝え、お母さんは再び小樽に帰っていきました。
その後多喜二は一度釈放されますが、今度は築地署の特高に逮捕され、拷問によりその日のうちに命を落とします。
太いステッキで全身を何度も殴打され、体に何か所も釘などを打ち込まれ亡くなったそうです。想像を絶する拷問の最中、特高が言ったそうです。「死ぬ前に言いたいことがあれなら言え」
そこで多喜二はなんと言ったと思いますか?これこそ、僕の心を震わせた言葉でした。
「もう殴らないで下さい…。もう叩くのをやめて下さい…。叩かなくても、私は間もなく死にますから…。あなた方は私を地獄へ落そうとしましたが、私は地獄には落ちません。
母は私の小説は間違っていないと信じてくれました。母が私を信じてくれたから、必ず私は天国に行きます」
「母は私の太陽です」
そう言って、多喜二は最後笑いながら亡くなったそうです。
信じてくれる人がいる
この話は何度聞いても涙が出てきます。今、書いてても鼻の奥がツーンとしてきてます。
拷問を受けていても、お前はクズだ役立たずだ、非国民だと罵られ蔑まれていたとしても、たった一人だけ自分を信じてくれた人がいた。
それだけで多喜二は最後の最後に、自信をもって、尊厳をもって、命を終えることが出来たのです。
多喜二のお母さんは、貧しく教育もろくに受けられなかったので字が読めません。多喜二が書いた小説を一行として読むことが出来なかったんです。
それでも「我が子、我が息子多喜二が書いた小説に間違いはない」
そう信じ続けていたんです。
これが自信の源です。
信じてくれる人がいるから頑張れる。信じてくれる人がいるからこそ、やり続けることができる。
信じてくれる人…、家族や仲間。
この信じあう人たちに対して、なぜ否定的な言葉をもっともらしく言わんといけないのでしょうか?
「無理だ」とか「だめだ」とか「やめた方がいい」なんて言う必要がどこにあるんでしょうか?
無責任でいい。
「素晴らしい」「大丈夫」「心配ない」「なんとかなる」
その言葉に責任なんかとる必要はありません。誰もその言葉に責任をとって欲しいなんて思ってません。
いつもそばにいるよ…。その思いが伝わるだけで頑張れる。強くなれると思いませんか?
「応援するから」このたった一つの言葉でどれだけの人が勇気づけられるか…。
僕もまさにそうです。「応援する」「いつもそばにいる」この言葉に何度も救われました。
あなたも相手にとって希望を与えられる上記のような言葉をどんどん無責任に伝えて欲しいと思います。
今回も最後まで読んで下さりありがとうござまいす。