三本の木の話

Pocket

毎度!

京都の幸せ配達人、勝浦 豊です。

今日も宜しくお願いします。

突然ですが、僕は宗教が好きではありません。

いや、全然いいんですよ?

自分の心の中でだけ神様を敬うのは。

全く問題ないですし、そうすることで、心が安らぐのならどんどん

敬えばいいと思います。

嫌だなと思うのは、布教という名の強制です。

休日の昼間に2人組で家に押しかけ、聖書について語られたり

新聞を取ることを薦められたり、あるところは高価な仏壇を

買わされたりするとか聞きます。

その人たちが信仰する神や仏は、興味のない話で人の休息時間を

奪ったり、お金で信仰の深さを計るような教えなんですかね?

全く違うと思うんですけど・・・。

なので、厳密に言うと宗教が嫌いってよりも、そこの教えが

素晴らしいよって興味がなくても勧めようとしてくる人が嫌いです。

 

そんな僕ですが、今日は1つ素晴らしいなと思う話を聞きました。

友人のお子さんがキリスト系の幼稚園に通っているのですが、

今日発表会があったそうです。

 

f:id:sihoryo:20191221163947j:plain

この写真はイメージですが、子どもの成長を見守ったあとで

締めの挨拶で園長先生がされたお話が

『3本の木』

の話だったそうです。

僕も初めて聞いたのですが、感動しました。

園長先生の話を直に聞いていたら泣いていたかもしれません(汗)

 

この話は絵本にもなっているそうで、

元々は遠いどこかの国の民話だそうです。

作者が誰かは分かりません。

けれども、親から子へ、またその子らへと語り継がれ、

愛された物語。

 

f:id:sihoryo:20191221163835j:plain

 

「はるか遠い昔、ある山の頂きに3本の木が育っていた。

3本の木は、大きくなったときに何になりたいか、

それぞれに夢があった。」

このような出だしで物語は始まります。

3本の木の夢とはいったいどんな夢でしょうか?

最初の木は、宝石や宝物を入れる世界一美しい箱になりたいと言います。

そして、2番目の木は世界一大きく頑丈な船になり、王様を乗せ世界中を

旅したいと言います。

最後の3番目の木は、この山の頂きを動かずに伸び続け、世界一背の高い

木になりたいと言います。みんなが私を見上げる時、天に目を向けて

神様の事を考えて欲しいから。

3本の木は、美しい宝箱、強い船、世界一高い木になりたい。

それぞれがこのような夢を持っていました。

 

しかし、やがて3本の木は切り倒されてしまいます。

さて、3本の木の夢は叶ったんでしょうか?

 

宝箱になりたいと願った木は、家畜の餌を入れる飼い葉桶になり家畜小屋に

置かれました。

王様を乗せ、大海原を駆け回り、船上で舞踏会が開かれるような大きな船になりたいと願った木は、漁師たちが魚を捕るための小舟になりました。

3番目の木に関しては、可哀想に・・・、切り倒された時点で夢は途絶えました。

神様を示す世界一高い木になることはできませんでした。その後も

何かに使われることもなく、木材小屋の隅っこに置かれたままに

なっていました。

 

3本の木は自分の夢が叶わなかった事を嘆き悲しみました。

そして、何年もの年月が流れ、3本の木は夢見たことさえ忘れていました。

 

ある夜、みすぼらしい家畜小屋の小さな飼い葉桶に

1人の女性が産まれたばかりの赤ん坊を寝かせました。

そこに羊飼いがやってきて

「この子は、神の子だ」

と言いました。

1本目の木は、いま自分が世界一素晴らしい宝物を入れていると思いました。

f:id:sihoryo:20191221163852j:plain

ある晩のこと。旅人たちが小舟に乗り込んで海へこぎ出します。

しばらくすると、嵐になり風も波も荒れ舟は水浸しになり、

乗っているみんなが怯えていると、眠っていた1人の旅人が起き上がり

「静まれ」

と風と波に叱ると、嵐がおさまります。

そのとき2本目の木は、いま自分は風も海も従える世界一の王様を

乗せていると思いました。

f:id:sihoryo:20191221163912j:plain

ある日、ほったらかしになっていた3本目の木は引っ張り出され、

十字架にされた上、1人の傷だらけの男の前に投げ出されます。

傷だらけの男は、皆のあざけりを受けながら、その十字架を

小高い丘に運びます。

役人は傷だらけの男を十字架に打ち付け、

「他のものは救えても、自分救う事は出来ないのか?」

と愚弄します。

苦しみの果て、男は自分を殺す者のために祈り息絶えます。

すると、聖所の垂れ幕は上から下まで裂け、陽の光は無くなり、

大地が震えました。

そのとき3番目の木は、いま自分の上で息絶えた男こそ、

神の御子だと思いました。

事実、十字架をみるたびに人々は神を思うようになりました。 

f:id:sihoryo:20191221163928j:plain

3本の木がなった姿は、最初に夢見た姿と違っていたけれど、

本当に夢は叶わなかったんでしょうか?

 

園長先生はこの話をした上で、今のままの自分がみんな素晴らしいと言う

話をされたそうです。

本当に素晴らしい話の内容だと僕は感じました。

お分かりのように、これはイエス・キリストの話のようです。

キリスト教系の幼稚園だからこの話をしたのかもしれませんが、

神がどうこうではなく

ありのままの自分でいいんですよ

って話にしたところが素晴らしいと思いました。

子育てに悩む親には、あなたの子育てでいいんですよと勇気を与えます。

子ども達に対しても同じ。周りと比べる必要はないんだよ。

キミはキミのままで素晴らしいんだからと言っているんです。

 最初に思い描いた夢を叶えられる人は多くないと思います。

でも、夢が叶わなければ、その後の人生は惨めでしょうか?

新しい夢を見つけたり、違う形で夢に関わる事も出来るはずです。

要は、自分がどうありたいかではないでしょうか?

 

僕は自分が関わった人たちに幸せになってもらいたいと思います。

生きがいをもって明るく楽しく生きていくには

「健康力」と「経済力」が欠かせません。

この2つをサポートするお手伝いをするのが僕の仕事だと改めて

感じました。いやー、いい話を聞いた。

今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUT US
かっつん
知っているだけで、ちょっと幸せになれる情報を発信していきます。お金の事、健康のこと、考え方などなど。 言葉が変われば人生が変わる。人生をもっと楽しみたい、そんなアナタのお役に立てれば幸いです。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。